仕事が生きがいのキャリアウーマンから、震災を機に新たな道を選択して

Report 3

ドリームマップを
障害児を持つ母親たちの
対話ツールにしていきたい!

川村 紀子(かわむら のりこ)さん
さーくる縁(えん)代表

川村 紀子(かわむら のりこ)さん さーくる縁(えん)代表

まずドリームマップとの出会いから教えてください。

川村紀子さん

ドリームマップは、2011年の2月ごろに知りました。当時、私は政府開発援助を実施する機関の人事部に所属し、次世代育成支援計画の推進や策定に携わっていました。夫婦で子育てに取り組むために、長時間勤務の削減や職員の働き方を見直すことが不可欠と考え、ドリームマップ講座は職員が自身のワーク・ライフ・バランスを見直す研修プログラムとして有効なのでは?と興味を持ちました。それで、まずは自分で受けてみよう!と受講することに決めました。

初めてドリームマップを作ったときはどんな感想でしたか?

最初は何を描いたらいいのか分からず、とても悩みましたね。

ワクワクとかキラキラとか、そういう抽象的な感覚を具体的に表現するのがどちらかというと苦手で、自分の夢をイメージするのに苦戦したのです。隣で作っている人のドリームマップを見せてもらって、こういうことも描いていいんだ!と少しずつ描けるようになりました。

もしかしたら、5人兄弟の長女だったので、いつの頃からか自分は我慢をするのが習慣化していたのかもしれません。「さぁ、ドリームマップに自分が欲しいものを貼ってみましょう!」と言われても、一向に思い浮ばず手が止まりました。

ドリームマップ完成までに、ご自身の欲しいものは見つかったのでしょうか?

いいえ。結局のところ、たいして出てきませんでした。でも、そのことが大きな気付きとなりました。

ドリームマップでは、「自己実現(物質的なこと)」・「自己実現(精神的なこと)」・「他者への貢献」・「社会への貢献」の4つの視点をもちいて夢を描きます。

私の場合、仕事柄、開発途上国の貧困がなくなってほしい、地球規模で平和な社会になっていてほしい、という使命感があって「他者への貢献」・「社会への貢献」の部分はどんどん埋めていけるのに、下半分の「自己実現」のスペースは、具体性も乏しくスカスカで……。

それを見て、これまで単に物欲がないと思っていたけれど、自分の欲求や気持ちに対して鈍感になっていたのでは?ととらえるようになりました。思考の癖に気付いて、もっと自分の無意識の声を拾ってあげなきゃ!と。

そんな心境の変化があるなか、2012年末、ある1つのターニングポイントを迎えられたと伺いました。

はい。20年勤めていた組織を思い切って退社しました。

国際協力に携わることは10代の頃からの夢でしたし、在職中、仕事は生きがいでした。大好きな仕事を辞めるのには未練があり、正直決断にはとても時間がかかりました。

それでも、退社という大きな決断に至った理由はなんだったのでしょう?

川村紀子さん

そもそも考え始めたのは、フィリピンに赴任していた時です。1年に1回帰国する度に、日本の安全さにホッとし、誇りに感じていましたが、同時になぜか日本人のどんよりした感じがとても気になりました。身近な人を自殺で亡くしていたので、日本が世界の中でも自殺率の高い国であることも心を重たくしました。フィリピンの国の幸せのために仕事をしているけれど、日本は果たして幸せな国なのかな?私は国内でやることがあるのかも、という考えが心に宿りました。

でも、大きなきっかけは、3.11の東日本大震災を経験したことです。職場にいて机の下で揺れを感じている時に、「息子と娘、2人の子どもの母親である私」という自分の役割を強く意識しました。特にダウン症候群のある娘のために母としてすることがあるような気がしました。

そこから、今行うべき自分の優先順位はなんだろう?と葛藤の日々が始まりました。それこそワーク・ライフ・バランスの見直しです。世界平和のために何をしたらよいか?と訊ねられ「家に帰って家族を愛してあげてください。」と答えた有名なマザー・テレサの言葉が、何度も頭の中をよぎりました。

優先順位の入れ替えをして、川村さんのなかの軸はどう変化しましたか?

ドリームマップでは、作成の過程で数年後の夢だけではなく、人生の夢・エンドゴールを意識します。このエンドゴールを意識していくなかで、私がそもそも国際協力に携わりたいと思ったのは、「誰もが、自分に可能性を感じて人生を歩んでほしい。その妨げとなることを取り除くために生きたい。」という思いが根底にあったからだと改めて感じました。

この思いこそが私のベースになっており、これからも大切にしたいことなのだと感じました。エンドゴールを大事にしつつ、自分は家庭と地域という身近なところから始める。1つ1つは小さな変化かもしれないけれど、数が集まれば、いずれ大きな結果として返ってくる。小さな行動も多くが集まれば、将来的には、国家の指標となるような数値データにも反映される変化になるはず。そう考えています。

それでは、現在の川村さんの取り組みについて教えていただけますか?

家族や身近なところから、と考えるなかで2009年より行ってきた「さーくる縁」の活動をしっかりと続けていこうと思うようになりました。「さーくる縁」は、孤立しがちな乳幼児期の障害児を持つ母親たちを繋げて、少しでも育児の不安を解消してもらおうという目的で活動しているネットワークです。

下の娘がダウン症で生まれてきて2歳になるころ、「障害児を持つ母親は、公園デビューができないよ。」と言われ、市のこども発達センターの母子通園で知り合った数組のメンバーと一緒に公園デビューをしてみよう、子どもたちに外遊びをさせてあげたい、と始まりました。

やがて、勉強会を開催し、共通して抱えている課題を分かち合うことを始め、現在は、市内60組の母子が登録し、イベント参加や情報交換の場として定着してきています。

最後に、川村さんの今後の活動課題や展望について教えてください。

川村紀子さん

母親たちは、一般的に子ども優先で、自分のことは二の次となりがちです。特に、障害のある子どもの母親は、普通の育児以上に子どものケアや将来の準備に時間も労力もとられる期間が長く、自分のための時間を作ったり、自分自身の将来については考える余裕のないまま、月日が過ぎるように思います。

でも、母親にも一人の大人・女性としての人生があります。自分らしい夢をのびのび描き、生まれてきた喜びを味わう。子どもたちもまたそれぞれの夢を描く……夢は、誰にとっても生きるためのチカラになります。

自分は何が好きなのか?何がしたいのか?本当はどんな風に生きたいのか?自分自身の希望や夢の数々を、大人も子どもも丁寧に感じてみる機会をドリマ先生として応援したいですね。

そして、夢に向かう過程で困難があっても、応援を受けながら一歩一歩近づいていく……そんな当たり前の人生を、当たり前に生きることを一緒に楽しむ。そのような活動ができたら、本望です。

そして活動を積み重ねる道が、いつか国際協力の道に繋がっていたら嬉しいと思っています。母業中心の生活を楽しみながら、“自分らしくあること”を応援しあっていきたいです。

川村さん、ありがとうございました。